養老孟司

まともな人 (中公新書)

まともな人 (中公新書)

私が国家公務員「論理」法に反対するだけでなく、あんなものはとんでもないものだと思っているのは、論理が法と同居しているからである。論理がマニュアルになり法になるなら、論理などいらない。いまでは人々はまさに「論理を欠く」。それは論理が法になり、マニュアルに変わったからであろう。p46

論理:個人に属するもの。

いくら自分で正しいと信じるにしても、それはたかだか千五百グラムの脳みそが、そうだと思っているだけのことでしょうが。p73

なぜわれわれは、戦争がやめられないのか。正義の戦争があるからであろう。さらにいうなら、正義があるからであろう。p79

その通りだと思う。正義には余白が要る。

人は誰一人として完全な事実を知らない。それなら唯一客観的真実とは、神のものであって、人のものではない。唯一客観的な事実が存在するというのは、ゆえに「信仰」にほかならない。人間なら誰一人としてそれを知らないからである。p99

少子化ということは、多くの人が子どもはいらないと思っているということである。〜(中略)〜さらに戦後五十年、日本社会は子どものことを真剣には考えてこなかった。〜(中略)〜じつは子どもは「いないことになった」。私はそう思ってきた。なぜなら子どもは「自然そのもの」だからである。

曰く、現代は「情報化社会」。自然(人間が設計しなかったもの)を消してきた。子どもほど変化の激しい人間はいない。

日本の普通の家庭では、結婚後十五年まで、夫から妻への愛情は横ばいだが、妻から夫への愛情はひたすら右肩下がりなのである。〜(中略)〜その理由までわかっている。「夫が子育てに協力しなかった」。〜(中略)〜産む性への理解(が足りないの)である。それに対して、すでに結婚前の若者たちが、「そんなことはすでに知っている」という。〜(中略)〜われわれはなにごとであれ、「すでに知っている」世界に住んでいる。なに、なにも知ってやしないのである。ほとんど五里霧中、すぐ身の回りのことですらよくわからないはずである。何十年一緒に住んで、女房の気持ちがどこまでわかるか。それがわかっているなら、自分が考えることが正しいと思い詰めて、飛行機を乗っ取って、ビルに突っ込んだりはしないはずである。p168-9

今の日本の対北朝鮮への感情は、戦争の感情である。〜(中略)〜戦争は外交の一手段だという言い方もある。それなら外交が戦争の一手段になっておかしくない。いまの日本人は日本に軍隊がないから、戦争はできないと思っているであろう。p174-5

人生は金ではない。それはアメリカ人にとってもわかりきった話のはずである。金が人生であるように見えるのは、社会システムという前提があるだけのことである。そのシステムのなかでは、という限定がつねについている。それが「現実」だという考えを、私はとうとうこれまで持たなかった。だから「たった一人の戦争」を続けてこられたのであろう。p212

かっけぇ…。
養老節全快で面白い。養老先生は普通の人とは考える対象、発想の仕方からして違う感じなので、まさに目から鱗が落ちる思考回路。触れるだけで面白い。理系らしくシニカルなんだけど、到底反論はできないっていう感じなw