沖縄文化論
- 作者: 岡本太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1996/06/18
- メディア: 文庫
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- 沖縄的コンプレックスp16
- 「何もないこと」の眩暈p39
- しかしここが発展しなかったのは猛烈な風土病のせいだった。石垣島、西表島など、八重島群島はひどいマラリヤ地帯で、全村死滅という悲惨がたえなかった。p55
- それは文字通り虚飾である。しかしまた、そこには生活から切り離された凄みがある。非人間的ともいえる誇らかな相貌に、逆に人間の深い、激しい本質が現出する。〜〜こちらにはぎりぎりの手段で生きる生活者の凄み、美しさがある。p67(異なる2つの文化のモメントについて。有形、無形。)
- おおぎょうで華やかなコスチューム、躍動的な伴奏なのに、踊り手の動きは驚くほど静かだ。体はまっすぐに前を向き、すり足で斜め前に進む。目は一点を見つめたまま、顔は冷たいままで表情がない。凄い気品、格調である。p126
- 日本舞踊のしなとか、バレエに見られる問いかけのような身ぶり、観客への訴えみたいなものがまったくない。悲しんで見せたり、喜んでみせたり、押しつけがましい表情、そういう卑賤な説明的手段はない。この絶対間こそ舞踊の本質である。p127(琉球舞踊)
- 風葬p152(久高島)
- 本土が沖縄に復帰するのだ、と思うべきである。p250
残念ながら久高島の風葬は1960年代に無くなってしまったらしい。少し調べると、島内部の問題以外にも、外部の人間による影響も少なからずあるという話があるようす。似た例でいえばチベットの鳥葬は自治区政府によって撮影禁止のような規制がされているように、文化保護になにかしら手だてはうてなかったのかね。少数のコミュニティで生まれ、守られてきた特異な文化は、ただでさえ外部からの干渉を受けやすい。それをそのまま興味の対象として外部にさらして良いものなのか、否か。こういった文化が無くなっていくのはやっぱり惜しい。