「負ける」作法とたしなみ

終戦記念日に思うこと(内田樹の研究室)

けれども、日本人がこの半世紀で失ったいちばん大きな社会的能力は「負ける」作法とたしなみである。
学校教育でも家庭教育でも「適切な負け方」については誰も教えない。
人々は「勝つ」ことだけを目的にしている。
どうやって勝つかというノウハウについては膨大な書物が刊行され、人々はそれを貪るように読んでいる。
けれども、私たちは勝ち続けることはできない。
日常的な出来事(恋愛とか受験とか就職とか起業とか)の場合、私たちの人生における「ここ一番」の勝率はまず1割台というところである。
それどころか、「生き死に」がかかったもっとも深刻な勝負についての私たちの生涯勝率はゼロである。
私たちは必ず死ぬからである。
「病む」ことや「老いる」こととも戦っている人がいるが、残念ながら、その勝率もゼロである。
「永遠の健康」も「永遠の若さ」も私たちは手に入れることができない。
ならば、勝ち方を研究するよりは、負けることからどれだけ多くの「よきもの」を引き出すかに発想を転換した方がいいと私は思う。
「勝たなくてもいいじゃないか」「負けてよかったじゃないか」という言葉を私たちはもうほとんど耳にすることがない。
けれども、日本人が勝つことにしか価値を見出さず、敗者には何も与えないというルールを採用したことで以前より幸福になったと私は考えない。